【うちんTOMODACHIH❤】第拾壱話 〜肥後国熊本藩初代藩主・加藤清正に学ぶ〜

天下の名城と言われる熊本城で、最も格式の高い部屋が"昭君之間(しょうくんのま)"です。

この部屋の壁や襖(ふすま)に、中国の漢の時代に絶世の美女と謳(うた)われながら、胡(こ)の国に送られた王昭君(おうしょうくん)の悲劇の物語が描かれているところから、"昭君之間"と呼ばれるようになりました。

熊本城を築城したのは加藤清正ですが、この絢爛豪華(けんらんごうか)な部屋に彼が暮らすことは終生ありませんでした。

では清正は、何のためにこの部屋をつくったのでしょうか。

清正は、豊臣秀吉から最も愛された武将の一人で、秀吉の遺児・秀頼に対して、他の大名とは比較にならないほどの深い愛情を寄せていました。

関ヶ原の戦いに勝利し天下人となった家康は、おそらく徳川家の安泰のために、遅かれ早かれ豊臣家を滅ぼそうとするでしょう。

清正は、もし秀頼の身に万が一のことが起こったら、秀頼を熊本城に迎え入れ、徳川に背(そむ)く覚悟がありました。

その時こそ、昭君之間は初めて主(あるじ)を迎えることになります。
つまり、昭君之間は、清正が秀頼のために用意した部屋だったのです。

それにしても清正は、なぜ秀頼のための部屋に、王昭君の物語を描かせたのでしょうか。

一説には、昭君之間は「将軍の間」の隠語(いんご)で、「秀頼こそが天下人である」という思いを込めたと言われますが、私には、別の理由があるように思えます。

実は、王昭君は、漢民族と匈奴(きょうど)の友好を図るために、誰もが嫌がった匈奴の元へお嫁入りしたのです。
その美しさとけなげさゆえに、悲劇の物語として長く中国で語り継がれているのですが、おそらく清正は、「王昭君が自己犠牲を払ってまでも二つの民族を融和させたように、私が徳川と豊臣の橋渡しを務めることで、秀頼様を守り抜く」と誓ったのではないでしょうか。

清正の豊臣家への忠誠心と、秀頼を守れなかった無念さ(1614年から翌年にかけて大坂の陣が起こり豊臣家は滅亡しますが、清正はそれより前の1611年に亡くなりました)、昭君之間に描かれた王昭君が、私の目にひときわ美しく、そしてひときわ悲しく映るのです。

 

「博多の歴女」白駒妃登美

埼玉県生まれ、福岡県在住。
大学卒業後、大手航空会社の国際線乗務員として7年間勤務。
その後結婚、出産を経て、福岡県を拠点に結婚コンサルトの活動をしながら、「博多の歴女」として歴史講座を積極的に展開。
2012年、日本の歴史や文化の素晴らしさを国内外に広く発信する「株式会社ことほぎ」を設立。
全国各地で公演活動に取り組んでいる。著書に『人生に悩んだら「日本史」に聞こう』(共著、祥伝社)、3月末には新刊『感動する!日本人は逆行をどう生きたか』(中経出版)を発売。
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