【うちんTOMODACHIH❤】完(第拾弐話) 〜将軍・徳川家康に学ぶ〜

前回は加藤清正について書かせていただきましたが、清正の死後に加藤家が取り潰されると、細川家が熊本城主となり、54万石を拝します。

これは関ヶ原以前の細川家の石高の約4・5倍。他にも筑後久留米藩の有馬家が21万石、筑前福岡藩の黒田家が52万石...と、九州の大藩の多くは外様で、それぞれが関ヶ原や大坂の陣での戦功を認められて、大幅な加増を受けています。

ではなぜ徳川家は、彼らにこれほどの所領を与えたのでしょうか。

これは私の想像ですが、この破格の待遇は、「薩摩に事があれば、徳川家の為に身を粉にして働け」というメッセージだったのではないでしょうか。

家康は、関ヶ原で西軍に属した薩摩島津家に対し、取り潰しはおろか、所領を減らすことも国替えもできなかったので、周到な大名配置で抑えようとした、つまり薩摩藩を潜在敵国と見なしたのだと思います。

薩摩が九州を席捲した場合に備えて、山陽道には大きな城が連なります。

広島城、岡山城、そして僅か十余万石の姫路にも、あれだけの大城郭。

その姫路城が破られれば大坂城(将軍直轄)で、大坂城も落ちれば名古屋城(尾張徳川家)で、名古屋城まで落ちれば、あとは箱根の嶮に拠って関東を守ろうというのが、徳川幕府の戦略だったのではないでしょうか。

ところが、歴史とは、なんと壮大なドラマなのでしょう。

265年の時を経て、薩摩が、徳川にとってのもう一つの潜在敵国・長州と手を結び、明治維新という革命を起こして徳川の天下を覆したのですから。まさに、家康が憂えた通りになったわけです。

さすがの家康も、二百数十年後に造船技術が発達して、薩摩から蒸気船に乗って一気に大坂、江戸に兵力を輸送できるなんて、想像できなかったに違いありません。
家康が考え抜いた戦略は、薩摩が陸路で打倒徳川を果たす時にこそ威力が発揮されるものだったのです。

家康ほどの天才でも、敵に対して完璧な戦略をとることはできませんでした。
だとしたら、現代に生きる私たちは、敵を防ぐ方法や破る方法を必死に考えるのではなく、敵をつくらないこと、"win-win"の関係を築いて出会う人すべてに応援されることを目指すのが、一番素敵な生き方になるのではないでしょうか。

敵がいない、それこそ無敵の人生です。

「博多の歴女」白駒妃登美

埼玉県生まれ、福岡県在住。
大学卒業後、大手航空会社の国際線乗務員として7年間勤務。その後結婚、出産を経て、福岡県を拠点に結婚コンサルトの活動をしながら、「博多の歴女」として歴史講座を積極的に展開。
2012年、日本の歴史や文化の素晴らしさを国内外に広く発信する「株式会社ことほぎ」を設立。全国各地で公演活動に取り組んでいる。
著書に『人生に悩んだら「日本史」に聞こう』(共著、祥伝社)がある。2013年3月出版された『感動する!日本史〜日本人は逆行をどう生きたか』(中経出版)も好評発売中。
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