ゆの里物語

弘法大師ゆかりの地、高野山麓 神野々(このの)で、金水・銀水・銅水、不思議な力を持つ三種の銘泉が湧く天然温泉。

天然温泉「ゆの里」は、弘法大師ゆかりの地、高野山麓 神野々(このの)にあり、湧いている3種類の水は、「金水」「銀水」「銅水」 と呼ばれています。
その中でも「銀水」の源水は、「神秘の水」といわれるほど不思議な力を持ち、「金水」と「銀水」をブレンドしたミネラルウォーターは「月のしずく」として知られています。

「ゆの里」のロビーはお水の資料や書籍が並んでいるギャラリーになっています。
壁には博士の方々が「金水」や「銀水」を検査した結果や考察がパネルで飾られ、棚には全国のお客様から寄せられた喜びの声がファイルに綴じられて並んでいました。ファイル数がVol.44を超えいるのを見れば、ゆの里が多くの人に親しまれているということはすぐに知ることができす。

天然温泉「ゆの里」 – 温泉&施設紹介を映像でご覧いただけます。
(音楽が流れます)

窓の外に高野山を見渡し、落ち着いた音楽が流れる中で、ゆの里 重岡寿美子会長と重岡昌吾社長にお話を伺うことができました。

はじまりは、重岡寿美子会長の「温泉施設を造りたい」という想いから。

ロビーで水の資料を見ていると、にこやかに初老の女性が話しかけてきました。
「ようこそいらっしゃいませ。」ゆの里の重岡寿美子会長でした。
重岡寿美子会長はとても楽しそうに水の話をされるチャーミングな方でした。ご本人曰く「無鉄砲な性格」だそうで、ゆの里のはじまりも、この無鉄砲さ(?)にあったようです。

昭和61年のある日、「ここに温泉施設を造りたい!」と思いたち、それを聞いた現専務である息子さんは、正直なところ、「また何か言い出した…」と思ったそうです。
地質調査の専門家から「このあたりに豊かな水脈は存在しない」といわれながらも、水があると確信していた重岡寿美子会長は「50mでいいから掘って欲しい」と強く願いました。

それならば、掘って出なかったらやめようということで50mだけ掘ってみることになりました。なぜ水があると思ったのか、なぜそこを掘ろうと思ったのかは、ご自身でも分からないそうです。

50mまで掘削しましたが、残念ながら水は出ませんでした。
しかしその後不思議なことがおきます。

「震度4くらいの地震だったかねぇ」
「天がわたしに水をくれた。と感じたんだよ」

局地的な地震が起きたのでした。「天が水をくれた」と感じた重岡寿美子会長は「パイプのバルブを緩めてみて欲しい」と掘削の技術者に頼みます。
「水は出ないよ」と言われながらバルブを緩めてもらうと、なんと水があふれ出しました。
当時の様子を目を丸くしながら語られる重岡寿美子会長。
水に対する感謝の気持ちがいっぱいだったそうです。

この水を「金水」と名付け、検査してみると全くの無菌であることが分かりました。
突然の地震によって、奇跡的に地下水が湧き出たのです。昭和62年のことでした。


ボトルを持参して金水を持ち帰るお客様が多くいらっしゃいました。

不思議な人々が訪れる

金水を沸かしてお風呂屋を営んでいると、不思議な話がお客様の間で語られるようになりました。

「ゆの里のお風呂に入ると癒される」
「痛かったところが治る」
などなど。

また、こんなこともあったそうです。
山伏の修験者の格好をしたお客様が毎日訪れては、周りのお客さんをビックリさせるほどの音で、高野山に向かって法螺貝を吹いていたそうです。
注意するべきかどうか迷っていたある日、その修験者が重岡寿美子会長に「ビールをつがせて欲しい」と言ってきました。

ビールをついでもらうと、その方はおいおいと泣き出し、社長はご母堂様の生まれ変わりだと言う。
"あと2,3年は苦労するけれど、その後は全国から人が来るようになり安泰となる”と言い残し、その日以来来なくなったと言います。

空海の遺言に次のものがあります。
「濁乱濁世なりとも、我が誓願に違わざれば、水金を湧かすべし」

「水金(みずがね)は高野山の麓で湧出したこの金水のことを指し、その水が後の世に多くの人を救う。と解釈できます。また、ゆの里が神野々寺(※)の廃寺後に立っていることから、この水こそが言い伝えの水だと信じる人々がやって来たのかもしれないですね」と重岡寿美子会長。

※白鳳期から奈良時代にかけて隆盛を誇った寺


金水と銀水をまぜた水で根腐れなく蘭などの花たちが咲き誇っていました。

やっぱり温泉を掘りたい。

修験者に「全国から人が来るようになる」と言われて、重岡寿美子会長は思ったそうです。

「全国から人が来るならやっぱり温泉を掘りたい!」

不思議なご縁で ゆの里 のお客様から温泉掘削に詳しい人を紹介していただき、息子(現専務)を説き伏せ温泉を掘削する準備を進め出しました。
しかし「金水」を掘り当てた1度目と同様、「ゆの里の辺りには良い水脈はない」と言われてしまいました。

“しかし万一、温泉が出るとすれば、この辺りだろう”と、紀ノ川がちょうど直角に折れている辺りを指さしました。
“紀ノ川がこれだけ流れを変えるのだから、地下に何かあるのかもしれない”というその場所は、なんと、金水を掘り当てた場所だったのです。

「温泉を掘ろう」重岡寿美子会長は決心しました。
こうして50mまで掘って金水を掘り当てたところを、更に深く掘ることになりました。

神秘の水と言われる銀水

掘り出した二度目の掘削でしたが、これがまた難航しました。
通常地面は土が変わるところで「地層」があるのですが、掘っても掘っても黒色片岩と呼ばれる岩続き。
どれだけ掘っても地層が変わらない。そして黒色片岩の地には温泉は湧かないというのが定説でした。

「きっと温泉はある」という重岡寿美子会長の強い意志のもと掘り進められた1187m。- 結局1187mまですべて黒色片岩だったそうですが - 温泉にあたればスッと引くという水が逆に増え出したのです。

「温泉に流れがあれば水が引くが、流れない温泉なら水は引かないんじゃないか」と言う重岡寿美子会長の意見に、「そういう温泉があることは聞いたことがあるが、実際に見たことはない」という掘削の技術士が、水の成分を測ってみるとなんと温泉が出ていたのです。

岩盤の中に閉じこめられていた水が温泉としてわき出たのでした。
この源泉を「銀水」と名づけました。

水は生き物であるとはじめて知った時

銀水を掘り当てたあと、水を引き上げようとすると不思議なことが起きました。
あと5mというところまで水は上がって来ているのに、ポンプでくみ上げることができません。1ヶ月くらい難航した後、掘削技術士を紹介してくれたお客様に相談すると、

「仲間の中に1人でも心の悪い人がいると水があがらない。思い当たることはないか?」と聞かれました。
重岡寿美子会長には思い当たる節があり、そのことを調整できた次の日、不思議と水はくみ上げることができたそうです。

「同じポンプで同じ方法で簡単に水がくみ上げられたのよ。それまで1ヶ月以上もあがらなかったのに」と目をパチクリさせながら語る重岡寿美子会長。
水は生き物だと知った瞬間だったそうです。

この「銀水」はたくさんの人の健康に貢献するようになり、次第に「神秘の水」と呼ばれるようになりました。
「神秘の水」の成分は人間の羊水や体液に近く、人間の生命活動を維持するのに重要な微量元素を含むミネラル成分が奇跡的な程にバランス良く溶け込んでいることが、人々の健康に効果的に影響するのではないかと言われています。

この銀水(神秘の水)によってこれまで数多くの方が健康を取り戻され、連日全国各地方からたくさんの方が訪れているそうです。

人は自然の恵みである、お水がなければ、生きていくことができません。
そしてまた、お水も生きています。
私たちは、そのお水に、いつも感謝の気持ちを忘れないようにしています。
きっとお水にも気持ちが伝わると信じているからです。
お水が喜んで皆様のもとへ流れていき、多くの方に役だってくれるように願って、
私たちは「ありがとう」の心を込めて、毎日「ゆの里」のお水を送り出しています。
どうか皆様にも、お水をやさしく扱っていただけるよう心よりお願い申し上げます。
~ ゆの里内のパネルより ~

神秘の水

地球上の全ての生命体は、今からおよそ35億年前、ミネラルイオンスープである原始海水を羊水として誕生したと言われています。
神秘の水「銀水」が人々の健康にもたらすさまざまな効果について、幾つかの大学や研究者は強い関心を示していますが、残念ながらそのメカニズムの解明にはまだ至っていません。
ただし、「神秘の水」は古代の海水が岩盤に閉じこめられたのではないか、という有力な説があります。一部の研究者からは、「銀水」が生命体を誕生させた「原始海洋」の延長線上にあるものと仮定すれば、「アポトーシス」つまり生命組織を維持するための綿密なシステムと密接な関わりを持っており、人々の生命リズムを正常化する一連の働きは当然のことだと考えられる…との指摘が寄せられています。
「1人でも多くの人に飲んでいただきたい」と、神秘の水、月のしずくは徹底した安全管理の中で生産され、全国のみなさまのところへ届けられています。

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