人参ジュース 株式会社イー・有機生活 伊藤孝博さん

人参ジュース 株式会社イー・有機生活 伊藤孝博さん

イー有機生活 人参ジュース開発者 伊藤孝博さん

有機農家と工場、そして伊藤さんの想いの詰まった究極の人参ジュース

山形の農家の三男として生まれた伊藤さんは、東京の大学を卒業後、コンピュータの世界の精鋭として、長らく活躍されました。
「長兄は、農薬や化学肥料を使って作物を育てるやり方に強い疑問をもち、日本でいち早く有機・無農薬栽培に取り組んで、その中心的な存在となりました。実は、私が生まれる前、農薬の事故で幼い次兄が亡くなったんです。農薬の危険を誰よりも知る長兄は、農薬・化学肥料に頼らず持続可能なモデルを目指したわけです。
長兄が農業でナンバーワンを目指すなら、自分はコンピュータの世界で次兄の分まで頑張ってナンバーワンになってやろう、という意気込みでいました」と語る伊藤さん。意気込み通り一流の技術者となり活躍されていましたが、伊藤さんに転機が訪れたのは47歳の時でした。

人参畑 人参ジュース

「両親が他界し、山形の家で兄と話していたとき、何気なく収入の話になったんです。自分の収入額を答えると『それはここらの農家の5軒分の収入だぞ』と兄が言うんです。
ショックでした。山形では一世帯に三世代・四世代が同居する大家族が当たり前。私一人の年収額が、家族総出で苦しい思いをして働いた農家五所帯分になるというのはちょっとおかしい。これでは日本の農業は本当におかしくなる、と強く感じました」

このショックが転機となり、47歳の伊藤さんは農業の世界に転身します。

「あと働けるのもせいぜい20年くらい。日本の農家のためになることが自分にもできるなら、残りの人生、頑張っている人たちと共に生きていこうと決意しました」

山形に帰省するたびに、地元全体に明るさがなくなり、「息子に農業を継がせたくない」という話がほうぼうから聞こえる・・・全国的にも65歳以上の、サラリーマンならリタイヤしている年齢の人が中心になって働かざるを得ない日本の農業の未来。

「若い人が魅力を感じてずっと続けていける環境を作り直していかないと」と伊藤さんは語ります。

人参畑訪問

伊藤さんが代表を勤める「イー有機生活」の「人参ジュース」は、プロ・アクティブのお客様にも「濃厚で甘み・旨みが強くて美味しい!」と大好評。

腹持ちがよく「食事」になるほどの品質の人参ジュースができる秘密は何なのでしょうか。

「野菜や果物をいったん粉に濃縮して、水で戻した濃縮還元ジュースと違い、国内の有機農家が育てた作物を、そのまま丸ごと全部飲んでほしいという考えで作っていますから、素材の成り立ちも製造方法も、一般的な100%ジュースとはまったく違うんです。果肉も繊維質も出来る限りそのまま生かしているのは、うちだけの大きな特徴です。」

たしかに、非濃縮のストレートジュースの中でも、ここまで果肉や繊維質がたっぷり残っているものは見かけません。

「作物をぎゅっと搾って果汁を取り出したあとの残りをカスとして捨ててしまうのはどうにももったいない。有機・無農薬の農家は、普通の何倍も苦労して、人参ひとつに途方も無い手間ひまを掛けて育てます。果汁を搾った残りにも農家の苦労が詰まっていて、有機ならではの栄養も濃い・・・そう考えると、捨てるなんてとてもできません。ですから、果肉と繊維を可能な限り残しているんです」

一般的に、カビや腐敗の事故を危惧し、工場では果肉や繊維を残したがらないのですが、イー有機生活工場では、手作業重視で安全管理を徹底することで解決しています。曲がった人参も短い人参も、愛情をこめて手剥きして、残さずジュースに仕上げます。

「確かに手間は多いですが、農家の苦労を思えば、このくらいの努力は当然ですよ」

ドロッと濃いのに、喉ごしはサラサラと流れるよう。フルーティな香りと、力強い甘み・香りは、人参の生命力をそのまま戴いている感覚で身体にしみわたります。有機農家と工場、そして伊藤さんの想いの詰まった究極の人参ジュースは、こうして作られているのですね。

伊藤 孝博 さん
(株)イー・有機生活

山形県生まれ。1976年日本ユニバック株式会社(現:日本ユニシス)入社以降、2000年6月日本アイ・ビー・エム株式会社退社まで主に金融機関のシステム開発を担当。
2000年7月「若者が日本の農業に夢を持って取り組めるようにしたい」との思いから、全国の約2000余りの有機栽培を実施している農業生産者が主体となって産地直送するネット通販会社、株式会社イー・有機生活を設立。

伊藤さんが開発した商品

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